平仮名をつかったちょっと珍しい「いすみ市」。千葉県内では初めて名前に平仮名が用いられた市町村で、唯一の存在なんです。ここではいすみ市の歴史についてご紹介します。
▼ 古代のいすみ市-伊甚国と呼ばれていた歴史-
▼ 中世のいすみ市-夢窓疎石の修行・万喜城の築城-
▼ 近世のいすみ市-偉人の輩出-
▼ 近代のいすみ市-鉄道の開通と近代化-
▼ いすみ市の誕生と現在-いすみ鉄道が注目-
古代のいすみ市
古代、いすみ地域は伊甚国(いじみのくに)と呼ばれていました。
元々は『古事記』の中で「伊自牟(いじむ)国」、『日本書紀』『国造本紀(こくぞうほんぎ)』の中で「伊甚(いじむ)国」と呼ばれていたのが、ことばの発音がなまって変わり、夷隅(いすみ)になったといわれています。

大和朝廷の時代、いすみ地域は朝廷の直轄地で、その中でも重要な地域であったようです。その理由として、海産物や農産物が豊富に穫れ、アワビや真珠などの海産物を大和朝廷に献上していたことがあげられています。
律令国家の時代、いすみ地域は夷隅郡となりました。他の郡衙と比べて多くの正倉(穀物などを備蓄する倉)があったそうです。当時のいすみ地域が有数の穀倉地帯のひとつで、古来より繁栄していたことがうかがえます。
中世のいすみ市
平安時代の末期にいすみ地域を支配していたのは、上総介広常という人物で、鎌倉幕府成立にも貢献しました。
市内には広常や頼朝の伝説が多く残されています。
鎌倉時代末には、禅僧として有名な夢窓疎石(むそうそせき)がこの地で約2年半の隠遁生活を送りました。
疎石は当時を代表する名僧で、後醍醐天皇などの天皇・上皇や、足利尊氏など時の権力者からも帰依を受けた人物です。
鎌倉瑞泉寺、甲斐恵林寺、京都天龍寺などを開山し、作庭家としても有名でした。

長い修行の終着地が、(現いすみ市能実の)退耕庵で、太高寺の裏山には疎石が修行をした座禅窟が今も残されています。
この“能実”という地名は疎石が、-この地に稲が能く実るように-という思いを込めて付けたと伝えられています。
戦国時代になると、上総土岐氏が万喜城をを築き、いすみ地域を支配するようになります。
万喜城は、夷隅川が堀の代わりとなり、水運も利用できるという、絶好の立地条件に築城された城でした。
こうして夷隅川流域に多くの支城を築きながら、勢力を拡大していったそうです。
土岐氏は豊臣秀吉による小田原攻めで滅亡しますが、現在も残る万喜城跡や、市内に残る多くの城跡から当時の土岐氏繁栄の様子がうかがえます。
近世のいすみ市
江戸時代には、現在のいすみ市国吉に六斎市がひらかれ、夷隅川流域の商業中心地として栄えました。
この頃、歴史に名を残す偉人がたくさん輩出されているので、ご紹介します。
三代将軍徳川家光の師としても知られる、行元寺の住職「亮運大僧正」、小林一茶の俳友だった半場里丸、医師・学者として名をはせた田丸健良や、心学の普及に努めた「東一貫斉」などなど。
他にも、名奉行として知られる「遠山金四郎景元」もその一人です。時代劇「遠山の金さん」で、なじみがある人もいるのではないでしょうか。
海岸沿いでは漁業が盛んで、大漁祈願を願う“大原はだか祭り”はこの頃から行われていたと考えられています。
近代のいすみ市
明治時代はじめ、全国的に自由民権運動が活発になりました。
いすみ市域では夷隅郡市内の有志者が結集し、政治結社「以文会」を結成。その活動の中心にいたのは井上幹という人物で、上布施に私塾「薫陶学舎」を創設し、青少年教育に尽力したと伝えられています。
その後以文会は、大政翼賛会の結成まで、戦前の千葉県政に大きな影響を与え続けたそうです。

農業は、大規模農法を生かした「耕地整理」や、夷隅川の水利を活用するための揚水事業が開始。近代化が進みます。
昭和初期に国吉周辺で生産された米は「国吉米」として出荷され、皇室献上米にもなったほどの美味しいお米です。
「いすみ米」としてそのブランドは引き継がれ、現在でも粘り気と強い甘みで人気です。
鉄道は、明治時代に一宮~大原間が開通し、経済・産業を大きく発展させることにつながりました。
このとき活躍した人物がいすみ市釈迦谷出身の大野丈助でした。
彼は千葉県初の鉄道建設を請け負い、外房線を作った人物として歴史に名を残しています。
交通が整備されたことで、いすみ地域は避暑地や別荘地として人気となり、東京方面から多くの人々が訪れました。
明治末から昭和初期にかけて、多くの著名人がいすみ市で過ごしています。
森鴎外や若山牧水、林芙美子、山本有三らの作品にいすみ市が描かれました。
いすみ市の誕生と現在

昭和29年(1954)に夷隅町となってから、何度かの合併を経て、平成17年12月5日に、夷隅郡夷隅町と大原町・岬町の3町が合併して、「いすみ市」が誕生しました。県内では34番目の市です。
昭和のはじめに本格的な鉄道「木原線」が開通し、小湊鉄道との連絡したことで交通の便は飛躍的に改善されました。
現在は第三セクター方式による「いすみ鉄道」となりましたが、長年にわたって赤字経営が続く、厳しい状況です。
しかし鉄道の利用をあげるために観光客を増やすアイディア列車やお土産など、さまざまな経営努力が度々注目されて、話題となっています。
そして令和3年3月末には乗車人員2000万人を突破!
乗るだけの公共交通ではなく、何度も訪れて“小さな旅”ができる、乗車する人々との繋がりを大切にした鉄道として、いすみ市に欠かせない存在となっています。


